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イギリスの華麗な刺しゅう、二一ドルポイントの歴史は古く、1570年頃スコットランドのメアリー王女が作った作品が、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館に残されています。
17世紀、18世紀には、王侯貴族や富裕階級の人々のみが、専門の下絵作家や刺しゅう職人を雇い入れ、女主人が侍女、召使いなどとともに室内装飾品を競って制作しました。王政を持っていたスペインを始め、フランスやイタリア、ドイツでも栄光や権威を示すものとして盛んに作られ、古くから教会刺しゅうに伝統のあったイギリスで大きく発展していきます。
二ードルポイントのデザインの多くは花や植物、動物などを表現したもので、とくに、花のモチーフは刺しゅうと切っても切れない関係にあり、16、17世紀頃の壁掛けや家具などの室内装飾品にほどこされています。その頃イギリスでは東洋との交易が深まるにつれ、エキゾチックな草花のデザインを取り入れ始めました。
産業革命後は材料のウールや刺しゅう糸も量産性が高まり、その色数も大変豊富になって、彩りの世界が大きく飛躍します。
19世紀中頃のヴィクトリア女王の時代には、粗いキャンバス地に色をつけたデザイン、方眼紙にプリントされた図柄、必要なウール糸をセットしたキットがドイツで作られ、ベルリン刺しゅうとしてイギリスで爆発的に広がり、上流階級から庶民の女性たちまで、幅広く楽しめるようになったのです。
一方機械による製品が大量に出回り、ていねいな手仕事や上質なものが失われつつありました。
宮廷や教会などの伝統刺しゅうを誇ってきたイギリスでは、その技術を失わず創作活動をしていこうと、工芸美術家、ウィリアム・モリスが中心となって、独自の工芸運動を展開していきます。
1872年にはヴィクトリア女王の三女、クリスチャン王女がRoyal School of Needlework(王立刺しゅう学校)を設立し、現在も世界の刺しゅう愛好家のために広く門戸を開放し、技術指導および歴史的作品の補修と創作活動を続けています。
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